文字校正に臨む姿勢
私たちはこんな心構えで校正に臨んでいます。
私たちはこんな心構えで校正に臨んでいます。
日本エディタースクールで校正の授業を受けていたときに教わったことで、今も戒めとしている言葉です。利口そうに振舞ったり、物知りぶることをしてはならないということだそうです。
校正をしていると、たまに、これは違うでしょうと自信を持って訂正することがあります。しかし、そんなときに限って先を読み進めていくうちに、さっきの訂正は必要なかったことに気づきます。消せるペンでよかった~と胸をなでおろし、自分の浅はかさを思い知る瞬間です。
少しでも疑問を感じたときは、念のため、鉛筆書きで疑問出しや提案をして、確認していただくようにしています。
机に向かって仕事をしていると、ついつい視野が狭くなってしまいます。再校で間違いをいくつか発見したりすると、初校の人眠たかったのかなぁとか、勝手な想像をしてしまいます。
しかし、これも校正の授業での話ですが、浅草 仲見世で迷子を見つけるのは大変だけど、龍安寺の石庭でならすぐに迷子を見つけられるというわけです。
初校は未完成な部分があったり、繁盛仲見世状態だったりすることもありますが、それらが整った状況の再校では見通しもよく、間違いに気づきやすいというものです。
初校には初校の、再校には再校の、念校には念校の大変さがありますので、自分が置かれた状況で、できる限りの注意を払って木を見たり森を見たりしたいと思っています。
執筆者さんやライターさんや編集者さんなど、校正者にとって前工程の方々がスキルを駆使して作り上げたものが、雑音なくそのまま読み手に伝わるように、気と心を配ります。
ジグソーパズルのように、一人一人の力が組み合わさって完成されたものとなるとき、校正者は最後の一つのピースをきっちりとはめ込む係だと思っています。それまでのみなさんの努力が実を結び、ゴールに向かう過程を担当できるのは、責任重大でありますが大変うれしいことでもあります。